DARKGNOSIS

140字に断絶した世界を繋ぎ直す

オイオイw此処は地獄かぁ?w

近頃、若年性アルツハイマーにかかったのかと疑うくらい記憶力が欠如し始めている。

というよりは”記憶に留めておきたいほどの現実がない”と言ったほうが正確なのかもしれないが。

と言うのも、先週くらいの記憶が殆ど残っておらず平日ならまだしも昨日(土曜日)おこなった事すら思い出せない。結構ヤバイ。

どうしようもないので、せめてこうやってブログを残して”何かした”という気分になろうとしている。

が、かつてほど「”何か”をしなきゃいけない」という強迫観念が薄くなっており、ブログを残す意味があるのかすらわからない。

わずかに残った「このままニヒリズムに堕ちてはいけない」と危惧している僕がこうやって文章を書かせている。

 

10代の頃は”自己完結した世界”といったものに憧れを抱いていた。世界の有象無象に左右されない完全な精神を持ち、完全な自由を手に入れたいと願っていた。

そして大学生の頃、ダークグノーシスなどという似非宗教ごっこをして「死のリミットが人々を狂わせる、しかし俺たちは永遠存在にはなれない、ならば死を知覚しないように獣が時間などというものを考えないように我々も過去や未来というものを切り捨て、目の前に確かに存在する今だけを最高に生きていこう」などという哲学を振りかざし自己完結した世界を目指そうとした、しかし持ち前の小聡さのせいで普通に卒業して普通に就職するのが一番楽だと気づいてしまい、クソ情けなくも就職という名の自分への最高の投資をしてしまった。

労働は最高だ、社会的身分と生きる理由(金)を同時に与えてくれる。

だから仕事以外の時間は完全に死んでいい。

”何か”をちゃんとやっているんだから、それ以外の時間に”何か”をする必要はないだろ? なあ?

このままだと行く先は趣味も何もねえ金だけは持ってる、ブサイクな冴えねえオッサンだ。

なんで俺は何もしてねえのに時間は進んで俺は老いてくんだ?バグってんじゃねえの?どうしろってんだよ?趣味?そんな都合いいモンがあればクソッタレの世界に中指立ててねえよぶっ殺されてえか?

 

……

………あー何か支離滅裂になってきた、俺が言いたかったのはこういう話じゃない。

結局この記事で何が言いたかったっかって―と「月曜日キッツい。」

以上です。おわり。