DARKGNOSIS

140字に断絶した世界を繋ぎ直す

アは天海春香のア

というわけで、そういうワケだ。

俺は今なぜか、ネジ回し労働をさせられている。

特定されるとアレなので多くは語らないが「ネジ回し」と聞いてぱっと思い浮かぶような作業内容で大体間違っていないため、今回の記事を読むのに影響はないと思われる。

更に言うと特定を回避するために文章の8割くらいにFAKEを混ぜてあるが本質は同じなので気づいてもスルーしてほしい。

なにはともあれ冬が来るまで俺はネジを回し続けなければいけないらしい、これだけは事実だ。

 

秋、とある日のこと。

会社から工場行きを宣告された俺含む新入社員一同は、SEとしてプログラムを書くことを辞め、小綺麗なオフィスを離れ、ネジ回しソルジャーとして粗雑で小汚い工場へとやってきた。

工場内では用途の知れぬ機械たちが低く唸りを上げ、常に間抜けなサイレンの音を響かせている。

初日は作業練習とのことで、工場長監修の元、電動ドライバーの扱い方を学んだ。

「楽勝じゃん」

同期の一人がそう言う。

「間違いないな」

俺も同意する、事前情報によれば工場送り期間中は余程のことが無い限り定時で帰れると知っていたからだ。

「何も考えずにネジを回して定時で帰られる、しかも給料は今までと同じだ」

「文句どころか一生工場で働きたいな、案外そっちの方が向いてるかもしれん」

工場長が野暮用とのことで「練習してて」の一言で放置された俺達は、そういった会話を続けながらネジ回し練習をして定時を待った。

そろそろ終わりだな、と考えてるところに工場長が戻ってくる。

「じゃあそろそろライン入ってもらおうか、休憩の後でいいよ」

休憩?何の話だ?そろそろ定時なのに休憩している暇が?

もしかして、定時と残業時間の合間に挟まれる帰宅時間のことを”休憩”と称しているのか…?

 

「今日は19時まで工場を動かすから、初日で慣れないだろうけどよろしくね」

 

騙された…!

俺はその場で卒倒しそうになる。

残業ナシどころか初日からぶっ込んできやがった…!

「プリパラみれねえじゃん……」

「困ったことでも?」

「いえ……」

逆に考えよう、まだ初日だ。

作業着の受け渡しなどの無労働時間が発生していたし、それと相殺して実質定時だ。

所詮相手はネジ回しだ、まだ戦える。

休憩後、いよいよネジ回しが始まる。

が、特に何も覚えてない。慣れない作業に苦戦している内に19時になったため帰宅した。

 

2日目、多くの発見をする。

一つ目は単純作業においては作業進捗の見積もりが立ちやすいため、個人で進捗管理をするのでなく全体を工場長が管理しているということだ。

昨日の残業も、工場全体が19時まで稼働すると決めたので巻き込まれたのだろう。

つまり、ネジ回し初心者だからといって定時に帰れるワケではなくあくまで工場全体の進捗次第だということだ。

SEは個人の成果で帰宅時間が大きく左右されるため、ここは大きな違いだ。

ついでに言うと工場進捗はかなり厳しいらしく、冬まで毎日定時退社の夢は霧散した。

 

二つ目は自分のデスクなど当然なく座ることができないため、とんでもなく足が疲れるということだ。

その話を俺の作業指導をしている人間に話したら

「俺はずっと仕事中ずっと座ってる方が信じられねえし無理だわ~w」

などと言われた。

確かにSEの仕事を”毎日8時間以上パソコンと向かい続ける”と表現すると狂気じみてる。

これがSEになるってことか……逃げ場はない………。

 

三つ目は工場の治安の悪さだ、共通言語は女とパチンコの話っぽく休憩時間になる度にそのような会話があちらこちらから聞こえてくる。

自席がないため何となく固まって会話している同期達を横目に、弊工場についてエゴサをかけていたら2ch派遣板の愚痴スレなどを見つけてしまい、そちらは更に治安が酷かった。

やはりフィジカルな職場ではフィジカル思考な人間が集まるのだろうか?

今まで、オタク顔のオタクたちが集ったような会社でグダグダとコミュニケーションを避けてきた俺には少々厳しい環境であるようだった。

 

1週間後

早くも同期達の目が死んできている、俺も例外ではない。

何となく集まっていた同期の塊もバラバラになって隅で携帯を弄ってる人間が増えてきた。

キツイ……。

確かに作業内容は時給850円でやらせてもういいような超単純脳死作業だ、しかし脳が自由であるということはそれだけ負の思考がドンドン蓄積するということでもある。

毎日8時間以上ポジティブシンキングだけを続けられる人間はそうそういない。

油断すると脳内に「疲れた」「帰りたい」「逃げ場はない」「自殺」などの単語がぐるぐると脳内を巡っている。

労働終了後、淀みの捌け口を求めてそれなりに仲の良い同期を飯に誘ったら「お前が人との関係性を自発的に求める人間だと思わなかった……」と死ぬほど驚かれた。

「そうか?いつもこんな感じだぜ?」

そう言って誤魔化したが、普段の態度への反省があった。

その後、ゲーム談義や工場勤務の愚痴などで大いに盛り上がり、淀みが払われたような気になった。

 

社会人になってからどんどん「綺麗事だ」と切り捨ててきたものが本物だと証明されていく。

自己否定されているようで厳しいが、その度に普通に近づいていけてる気がする。

コミュニケーションから離れて携帯を弄って過ごす時間は確かに楽ではあるが、プラスでもマイナスでもないゼロの行為だ。別件でマイナスがあれば蓄積ばかりしていき、いつか耐えられなくなる。

一方で人との会話は発散行為だ、消費行為ではない。マイナスを消費してプラスに近づけるものだ。

それも嘘なのかもしれないが、自分の中だけでしか通用しない幻想に縋ってるよりは大勢で共有してる幻想に縋った方が安心だろ?なあ?

もう自分探しの旅は終わりだ。

”何もなかった”が結論だ、じゃあ次は”何か”を外部に求めていく番だ?そうだろ?

 

現在

もうすぐ冬が近づいている。

工場の空調は効きが弱く、ますます作業はつらくなってくる。

そうして、退社後は「寒くなってきたしラーメン食いに行こうぜ」などと言いながら、かつて避けてきた輪の中でラーメンを食って、溜まった淀みを発散させている。

コミュニケーションを無駄だと思うこともなくなった。

楽しいのか否かはわからないが、少なくとも救われている気がする。

 

今回は、そういった”コミュニケーションは大切だと気づけた”というつまらない話だが、偉大なる成長としてここに記したい。

そして、この”当たり前への自覚”を”アは天海春香のア”というマントラに変換し、日々自戒に取り組んでいる。

 

以上、終了。

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