ダークグノーシス~神々の黄昏~

僕が死んだときに遺書の代わりになります

創作という病について

※この記事は個人の感想であり、実際にそのような病気が存在するわけではありません、予めご了承ください。 

 

・概要

これは、僕がずっと前から苦しんでいる”創作”に対する病についてまとめたものです。

それは、好きでもない創作活動に過剰に執着してしまい精神を疲弊させてしまうものです。

どうして俺がこうなったのか、俺はこの先どうしたら良いのか、誰か教えてください。

 

・病状について

主だった病状は以下の2つである

(1) いつも漠然と”創作をしなければならない”という義務感(あるいは焦燥感)に駆られている

(2) 創作を達成できなかった日は、どれだけ楽しかろうと意味はないという気持ちになる

 

これだけならば、創作を達成し続けるだけで生活に支障は発生しない、問題は次の症状が併発したケースだ。

(3) 創作意欲が形だけで実際に達成されることがない(創作に取り組めたとしても達成と思えることがない)

(4) 実力以上に自分の創作力を過信している

(5) そもそも創作が好きではない

 

こうなってしまうと、毎日好きでもないものに向き合わなければならないという強い義務感を感じ、その義務を遂行しようとしても達成されることはなく、”今日成し得たかもしれない可能性”という実のない幻想に生活を蝕まれ続け、精神を疲弊させてしまう病気で、投げやりに言ってしまえば永遠に続くスランプのようなものだろうか。

 

・発症メカニズムと思考ロジック

「自意識がデカすぎる!」の一言で片付いてしまうのだが、なぜ義務感と焦燥感を抱えるほどに創作に執着するのか、そして何も創作をしていないのに自信ばかりが過剰になっていくのか解き明かしたいと思う。

・愛の倒錯

オタクの愛はいつも孤独だ。

本来、愛とはその対象と承認し合って確かめるものであるのに対し、我々の対象とはアニメキャラクターという架空の存在だ。

そのため、どれだけ綺麗な言葉を囁やこうと、どれだけ素敵な贈り物をしようと、受取手が不在では滑稽な一人芝居でしかない。

その一人芝居で狂いきれるのであれば、孤独にも耐えられるのだろうが、それは難しい。

だから何とか愛を出力し、第三者に承認してもらうことで自らの愛を認めようと試みる。

その出力方法は、例えば「◯◯は俺の嫁!」とか言ってみたり、キャラの絵を描いたり、SSを書いたり、など実に様々だ。

しかし前述の通り、この表現の向かう先は愛の対象でなく全く無関係な第三者だ、現実の対象と確かめあう愛とは異なった歪なものだ。

オタクが愛を確かめるときにはこのような”手段としての表現”という倒錯に縋るしかないのだ。

(※これが”承認欲”と呼ばれるものの一部でもあるのかもしれない)

 

・言語表現の限界

そして第三者たちはインターネット に求められた、オタクたちは掲示板に「◯◯は俺の嫁!」と書き込みまくった。

しかしそれは、誰にでも模倣可能な方法であり、繰り返される内に愛の証明とは見做されなくなった。その結果、より過激な表現へと変化していったのだ(年下キャラに対する「◯◯ママ!」といった表現など、各々オタクのキモいと思う文法を思い出して頂ければ)

そのような言語表現の過激化の中では、更に過激な言葉を用いて第三者からの承認を得ようとする者、過激な言葉を用いることでは愛は語れないと悟った者など様々な考えが生まれていった。

しかし結局は、我々の持つ言語では理想を語り尽くすにはあまりにも不十分で、それの陳腐な羅列でイミテーションの作成を行うことしか出来ない。

だから、創作という手段で言語のその先を切り拓き、理想をありのままに記述出来る方法を模索するのだ。

 

・創作の限界

すると、残るのはイラスト、SS等の創作が該当するろう。

(SSの制作は模倣不可能であり、前項で述べた言語の限界を突破可能な表現のひとつとする)

これほどまでにキャッチーで、独自性があり、かつ言語を超えて理想を発現できる表現手段は他にないだろう。

当然、手を出す。しかし、挫折する。

ここでようやく気づくのだ、好きであることと表現することは全く別物であるということに。

手段としての表現を選んでしまったから、表現の楽しさや手法を知らないまま、愛の承認という理想ばかりを膨らませ、その入力と出力の差に「俺の愛はこの程度の表現では遠く及ばない」と愕然とするのだ。

ここが、創作という病の入り口である。

 

・悪化

ここで「諦めたw」なんて言えれば良かっただろう、しかし普通は諦められないだろう。

今後の人生でずっとインターネットで創作家たちが、次々と自らの愛を承認させていく様を黙ってみていられるほど人間は丈夫ではない。

だから、好きでもない創作を少し触っては出来た気になって、ダラダラと数年の時が過ぎる、すると”数年創作活動をしていた”ということが自意識に負荷をかけ(内容はスカスカなのにな…)、ますますハードルばかりが上がっていく。

もう、ここまで来たら技量皆無のくせに、望みだけ高く、諦めも悪い限界オタクが完成する。

 

・治療法

俺はこの治療法を知らない、だが闘病過程くらいは記したい。

まずは、創作は愛の証明の手段でしか無いであることを自覚することだ。

本当にそれでしか、表現が成し得ないのか?ということは常に考えるべきだ。

出来ないなら手を動かすしかない。本当に、悲しいくらいに手を動かすしか無いのだ。

表現するべき愛を知っているのなら後は、表現へと変換させる方法を学ぶだけなんだ。

年数ばかり食ってデカくなりすぎた自意識なんて関係ない、安定剤飲んで殺すだけだ。

 

やるしかない、やるしかないんだよ…助けてくれ………。

 

・まとめ

【病状】

・創作という病とは、好きでもない創作活動に過剰に執着するくせに全く手を動かせない自分に激しく嫌悪感を覚え、精神をすり減らすもの

【発症まで】

・アニメキャラクターへの愛は第三者が介在しなければそれを証明することが難しい

・だからこそ人々は創作という黒海に飛び込む

・だが、好きであることと、好きを表現することは全く別物である

・そして次第に病に侵されていく

【治療法】

・ない(誰か教えてくれ)

・創作は倒錯した手段でしか無いと納得し、自己肯定できる他の手段を探す

・行動以外で現状は変わらない、もう既に袋小路にいるのかもしれないが抗ってみよう

 

以上、何の解決策も打ち出せないままの現状確認で終わってしまいましたが、何か解決策をお持ちでしたら以下の匿名掲示板(と言う名のお題箱)に投げてくれるとありがたいです。

https://odaibako.net/u/wababi