ダークグノーシス~神々の黄昏~

僕が死んだときに遺書の代わりになります

フラグメンツ

 

家の鏡を割った、それも拳で。

 

日曜午後特有のあまりにもデカい憂鬱の中で「あ、人を殴れるようにならなきゃ!」という感情が突然沸き起こった。

まず最初にアニメキャラクターの抱きまくらが目に入ったが、あまりにも正しい倫理的判断の元で即時却下され、次に目に入った姿鏡に映っている自分を殴ることにした。自分を殴れないやつは人を殴る権利はない。当然だ、だから俺は俺を殴る。

 

まずは一撃、鏡の向こうの冴えない自分に向かって軽くジャブを打ち込む。

鏡の表面がカコンッと音を立て、反作用で生まれる振動が左手の拳骨の中を通り抜け、暴力を行使する悦びで魂を揺らす。

続けざまに二撃目、今度はさっきよりも少し強めのジャブ。

さっきよりも確かな手応えを感じるが、鏡の向こうの俺はまだ刺激が足りないとばかりに余裕そうなツラを浮かべている。

ならばと三撃目、大ぶりの右フック。

ガシャンと嫌な音を立て視界が歪む、いや……歪んだのはどうやら鏡の向こうだけらしい。

どうやら見事に指の付け根の骨がクリーンヒットしたようで、衝撃を返しきれなかった鏡は放射状に走った亀裂で分断され、俺の顔を醜悪に歪ませていくつも映し出した。

「……普通割らねえだろ鏡は、悲劇の主人公気取りか?」

分割されたうちの一人が俺に話しかける。

「うるせえよ……」

拳を鏡面に当てたまま悪態をつく。

「その程度の痛みで”俺”が俺でいることから逃れられると思うなよ。手加減すんな、殺したいならもっとマジになれ」

手が離れた瞬間負けとばかりに拳は更に強く鏡面に押し込まれ、表面の亀裂はメキメキと音を立てながら新たな亀裂の放射を生んでいく。

「クソが……そのまま一生死んでろパラノイア

 暴力衝動に荒げた息のまま鏡面から拳を離すと、ガラス片の突き刺さった皮膚から鮮血が溢れ出し、放射の中心から重力方向へと滴っていく。

 

「うわ……。笑えねえ、笑えねえだろ……」

血を観測した脳は体中にクーラントを流し始めたようで、冷えた血が体の中心から巡っていくのを感じながら俺は自分の犯した病的な行動を顧みる。

 

「……しかしまあ、綺麗に割ってくれたもんだ」

部屋の蛍光灯を乱反射しながら鮮血を滴らせる鏡面に一種の芸術性を感じ取りながら、右手の血をティッシュで拭い、安定剤を2日分ブチ込む。

しばらくソファに沈み込み瞑想をしていたが、暗闇の中の光明は遠ざかるばかりで輝きの向こう側に辿り着く日はまだ遠い 。

 

【結局、俺を赦せるのは"俺"しかいないんだよ。】

黙ってろ。

 

【俺は"俺"であることから逃れられない。】

うるせえよ。

 

【ーーー卑怯な諦観をもって生を貶めるお前は何者だ?】

「黙ってろよ!!!!!!」

 

隣家の中国人からの壁ドンにも慄くことなくブチ叫び、魂に巣食った暗い感情から領土を取り返す。

目をゆっくりと見開けば、向かいに先ほど叩き割った鏡が見える。

鏡は物言わず、凝固が始まった赤黒い血を滴らせ、お前の犯した罪は事実だと告げている。

観念して机の上のティッシュペーパーで鏡面の血を拭うと 、粘性を持った血液は鏡面に線を引き、鏡面に映ったいくつもの俺を赤黒く染めていく。

「ああ、わかってるよ……俺は俺でしかない。鏡を砕いたところでな……」

独りごちながら床に落ちてたペットボトルを拾い上げ、烏龍茶をぶっかけて鏡面のひびをなぞるように丁寧に磨き上げる。

血液以外にもかなりの汚れが付着していたようでティッシュはすぐに真っ黒になり、鏡面は新品同様の輝きを放ち、部屋の明度を高めている。派手に割れているが……。

鏡面の亀裂に分割された自分の姿をじっと観測してみたが、仏頂面のオタクがいくつも映し出されるのみで、もう声は聞こえてこない。

 

「ああ…わかってる……わかってるんだよ……」

受け取り手不在の悲嘆が部屋に響く、本当に惨めだ。

「ハッキリしたよ、俺は内部であれば躊躇いなく暴力を行使できるから性愛に傾倒できない、だから全ての業を忘却しきるか、創作をもって愛の存在を証明するしか無いんだ」

「……。」

答えるものはない。

「ああ、わかるよ。結局は『進むしかない』それだけだって言いたいんだろ!」

「ククッ……クソ野郎が、俺はできるさ……俺はダークグノーシス教祖の"闇羽龗神'(ダークネス・レイジー)"なんだぜ!?」

歪みが酷い、はやく安定させなければ。どこまでも正しい理性はパソコンの横に散らばった眠剤を体内へと放り込み、体を布団に横たえた。

すると、徐々に全てを終わらせる微睡みがやってくる。

この瞬間は何よりも幸福だ、未来も過去もなく安寧という"今"の揺りかごに揺られているような気持ちになる。

「クソ……クソが…………」

俺は……俺はこんなはずじゃなかったんだよ……

 

意志を手放す瞬間、見知った声が聞こえた気がした。