死蝶の葬列
「どうやっても世界に許されないぜ、何故ならば世界を愛していないから。」
世界の美しさを確かめに行きたいのだが、クソ寒くてバイクに乗れず引きこもる日が増えてる。
なので、久しぶりにFXをしたらあれよあれよとボーナスが消えてしまった。(FXの話題はnoteに書いてるのでそっちも見てね)
キャッシングにまで手を出して良くない状況ではあるが精神的なダメージはそれほどない、というのも近頃は自分に対してどれだけの努力を注いだら何を得られるのかわかってきて、「雑にギャンブルをすれば損する」という結果が最初から見えていたからだ。
通算400万の受験料を払い、ようやく身の程を知ることができたのだが、これは祝福であると同時に呪いでもある。
創作パラノイアから抜け出しつつあり普通にアニメや漫画に触れられるようになってきたが、身の丈からかけ離れた理想に身を焦がし狂気によって駆動することが少なくなった。そして手の届く理想は何を成しても全て想定通り、期待を上振れる楽しさを得ることも少なくなった。
だからこそ他者に期待するフェーズなのだと思う。
他人という存在だけはどうしても予測不能だ、何を注げば良いのか、そして何が返ってくるのか全く未知数だ。
期待を下回ることも多々あるのだろうが、それでも全てが想定通りで回る世界よりは多少マシだろう。
しかし……。
全くもって世の中の綺麗事は正しいのだなと改めて思う、「賭け事はやめろ」「友は大切にしろ」「仕事は続けろ」などなど唾棄すべきだった言葉が就職して以降、全て現実となって降りかかってきた。次に刺さるのは「親は大切にしろ」「家庭を築け」辺だろうか、もう半分くらい刺さってるが。
閑話休題。
というわけで俺は俺自身を遊びつくしてしまったが自殺するには早いようなので、今遊んでる人たちに加えて職場やVRCやツーリング等々、色んなチャネルとの繋がりを作っていけたらいいなぁと思う。
幸福は相対的に見定めるものだと思うし(言われたし)、その物差しが極狭い世界にしかなかったのが諸々の破滅だったんだろうなと自戒がある。
労働をやめられないとしても、創作者になれないとしても、”真っ当な人生を全うできる真っ当な俺”を保てる物差しが見つかればいいですね。
死蝶の葬列